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2007年12月22日
大さじ1杯の呪縛
冬至。カボチャの煮物を作る。
カボチャを切って、調味料を入れる。
レシピを見る。
醤油、大さじ1杯。
そうだ。「大さじ1杯」だ。
これだ。
これが、妊娠してからずっと感じていた摩擦熱。
料理を作る時、おおかたのレシピには調味料の分量が書いてある。
醤油大さじ1杯。砂糖大さじ1杯。味噌大さじ1杯。
だけど、醤油大さじ1杯ったって、醤油によって塩分とか味とかが違う。砂糖だって甘かったりあまり甘くなかったりする。味噌だって辛かったり甘かったりする。
煮る野菜だって、季節によって甘みがあったり辛みがあったりする。秋のカボチャと冬のカボチャじゃ味が違う。秋のダイコンと冬のダイコンじゃ味が違う。もっといえば、季節によって人の味覚は違う。暑くて汗をかけば塩味の強いものが食べたくなる。寒い冬には甘みのあるものが食べたくなる。状況によって、調味料の分量は変わってくる。
だけど、調味料の味を問わず素材を問わず季節を問わず、「醤油、大さじ1杯」。
辛い醤油でも甘い醤油でも「大さじ1杯」。季節がいつでも、食べる人が疲れていても「大さじ1杯」。たとえそこで素材の味を生かすことができなくなっても「大さじ1杯」。まずくなっても「大さじ1杯」。
そこにあるのは、「大さじ1杯」。
料理が美味しく仕上がるかどうかが問題ではなく、「大さじ1杯」を守る事。何よりも大切なことは「大さじ1杯」。
その時の素材の持つ味。その時の温度。使う調味料の味。食べる人の体調。季節。たくさんのことを考えながら、五感で作るのが料理だと思う。だから、かあちゃんの料理はいつも「てきとー」だ。大さじ1杯を守ったことがない。今日も感覚でてきとーに醤油を入れてカボチャを煮る。
でも、「大さじ1杯」は、女の人たちの世界にしんしんと浸透している。妊娠してから訪れたいくつもの病院、出産してから行ったいくつもの施設や職員やたくさんの女の人たち。誰もが「大さじ1杯」を入れ続けている。食べる相手も素材の持つ味も調味料の持つ味もそこには無い。「大さじ1杯」を入れることが何よりも大切なんだ。
「大さじ1杯」は、香川 綾氏が、世間の女性に料理の作り方を広めるために作ったのだという。料理はその素材その味その季節食べる人で調味料が変わるんだから一律の表記はできないとプロの料理人がそれまであいまいにしていた調味料の分量を、テレビや雑誌を見た誰にでも計れるようにと発案したのだという。
それは素晴らしい手段であり功績だと思う。当時の時代を考えれば、必要だったと思う。
でも、いつしか手段は目的となった。
素材の味よりも季節よりも食べる人よりも大切なのは「大さじ1杯」。顔もカルテも見ない。話も聞かない観察もしない。聞こえているはずの耳が無い見えているはずの目が無い。問いに答えない。今までもこれからも「大さじ1杯」。あなた「大さじ1杯」よ! 「大さじ1杯」がジョーシキよ! 「大さじ1杯」を計りなさい! そこにあるのは、「大さじ1杯」のファシズム。
子どもができてから、摩擦熱が発生し続けてる。
その相手は、「大さじ1杯」の呪縛なんだ。
冬至。カボチャの煮物を作りながら、思う。
Date : 2007/12/22 22:50
Posted : jun
Category : よもやま
Tags :
冬至
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