愛はお金で買えるのか
アトムを入れた幼稚園は、地域では「いい幼稚園」と言われる所だった。
ところが、入園早々、先生とは名ばかりのギャル先生が、病気のウランをおぶったかあちゃんを寒い中に立たせて、アトムの目の前で機関銃のようにギャル言葉で怒鳴りつけた。しかも、その内容はまったくわけのわからない言いがかりだった。下の子だからなかなか時間を割いてあげられないかわいそうなウランに時間を作ってあげるために、アトムの延長保育をその幼稚園でしたことがある。迎えにいくと、ビデオの前に座らされているアトムがいた。ビデオに子守りをさせておいて、なにが幼児教育施設だ。ウランを連れてアトムを送り迎えしても、一度たりともウランの顔を見なかった。挨拶のひとつもしない。それがその幼稚園が選びに選んだ先生だという。しまいには腰痛で先生を辞めると言い、次に来た先生は1学期だけで辞め、その補充にまた腰痛のはずのギャルが来た。
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幼稚園入園前によく遊びにいった保育園の保育士さんたちは、よほどまともだった。普通の人間だし会話も挨拶もちゃんとしてくれた。愛情をもって子どもにも親にも接してくれた。
これが「いい幼稚園」? どこがいい幼稚園なのか。いったいこの幼稚園でアトムが愛を受けられたのか?
ウランを入れた幼稚園は、地域どころではなくて日本で「いい幼稚園」と言われる所だった。
入ってみると、そこかしこに愛情が溢れていた。まだ園児ではない小さな下の子を送り迎えに一緒に連れていけば、毎朝手を握って笑顔で挨拶をしてくれる。先生はウランを毎日抱きしめてくれる。子どもの前で母親を怒鳴りつけることなど絶対にない。いつも微笑みをたたえて子どもにも親にも全ての先生方が接してくれる。ウランは愛情に満ちて幼稚園生活を送っている。
ウランの幼稚園は、アトムの幼稚園に比べれば、お金はかかる。けれどそれで生活が成り立たなくなるというわけではないので、通っている。考え方によっては、お金がかかるぶんの愛情をウランは受けられているということになるのかもしれない。もちろん、入園するためには親と子どもの考え方とか性格とかいろんなものをトータルに見られて、その上で入園の許可をいただいたのだから、お金だけではない。世の中にはお金がかからなくても素晴らしい幼稚園はいくらでもあると思うし、給料が多くなくても素晴らしい先生はたくさんいると思う。
けれど、アトムとウランの幼稚園を比べてしまうと、この差は何なんだろうとふと思う。先生ひとり取っても、あまりにも違いすぎる。同じ人間とは思えないほどに違いすぎる。そして現実、おかあさんたちが、全然違う。もちろんそれはお金があるないではないことなのだろうけれど、ウランの幼稚園のおかあさんたちは愛に満ちて教養や良識のある気持ちのよい人ばかり。子どもと手をつないでいつも見ている。アトムの幼稚園にも愛情や思いやりのある人はいるけれど、そうでなく自己中な人もいっぱいいる。子どもが遊んでいてもおしゃべりばかりで絶対見てない。
先生からも親からも愛をいっぱいに受けているウランの幼稚園に通う家庭には、通わせられるだけのお金がやっぱりあるんだろう。アトムの通う幼稚園にもお金持ちと言える人はいっぱいいるけれど、お金が出せないからこの幼稚園にしたという人もいっぱいいるんだろう。
お金があればいい教育を受けさせられるというわけではないけれど、いい教育を受けるためにはお金が必要。そういうことなんだろうか? いい教育っていうのは頭ごなしに詰め込むものではなくて、愛情がないとやっぱりできない。愛情ある教育を受けるためにはお金がかかる。じゃ、お金がないところに愛はないんだろうか?
かあちゃんは、一日のうちにいろいろな世界を行き来する。あまりにも違うふたつの幼稚園。リアルとインターネットに育児に仕事。いくつもの異なる日常に急激な温度差がある。
今年も、世間では入園する幼稚園や保育園が決まっていく。子どもが受ける愛情って、かけられるお金次第なんだろうか? お金をかけるだけが愛ではないけれど、愛にはお金が必要なんだろうか?
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