自分の育児に役立つことは、どこかのだれかの育児にも役立ったりそうでなかったりなメモ 育児な手帖

« ある流産(6 | メイン | タミフルは脳に侵入? »

2007年10月30日

ある流産(7

医師の予定を入れられる日に、処置を受ける。
かわいいインテリアや整った設備の部屋や、こぎれいな個室の並ぶ産院。大きくて立派な分娩台。見学した時に見た。
でも、横になった部屋は、薬品の入った段ボール箱が積み重なる、まるで倉庫。
この部屋で、私の初めての赤ちゃんは、葬られるんだ。
ここで出産する人は、きっと一度も見ることがない部屋。

足を、ここに乗っけなければいけないのか? 横たわった台にある器具に足を乗せようとする。
「あ、そのままでいいんですよ」と、横に付いた助産師。
「子宮にポリープがあって、その処置を受けた時は、まずここに足を乗せて固定させられたんです」。
「それは、おつらいことでしたね」。
初めて、この産院で、血の通ったような言葉を受ける。
麻酔を受け、頭の中が真っ白になる。たくさんの星がキラキラ輝いている。この麻酔は気持ちいい。

医師の笑い声で目が覚める。ゆっくりと個室に運ばれる。麻酔が切れると、ものすごく痛い。吐く。その日のうちに帰宅。

「2ヶ月後ぐらいに来てください。生理があって、その後に。妊娠出来るかどうか、見ますから」。助産師が言う。
出血はいつまでも続いた。痛みもいつまでも続いた。ポリープで掻爬を受けた時よりもはるかに痛く、はるかに出血も多かった。痛くて立ち歩けない。横になり続ける。

言われたように、しばらくして、また産院へ行く。
内診台に乗る。

「生理が終わったばかりじゃないか! これじゃわからない!」。
そうつぶやかれただけで、医師の診察が終わる。

いったい誰がわかっているというんだろう? 初めての妊娠で、初めての流産で、掻爬の処置を受けた後の診察を受けるのには、どの時期が適しているのか、なんて。

どうして、この産院が人気の産院なのか、よくわからなかった、どうして、この医師が有名な医師なのか、わからなかった。
もう、ここへは来たくなかった。

定期的な経過観察のために、持病を治してくれた大学病院の医師の所へ行く。
「妊娠の経過はどうですか?」と、その医師。
「流産でした。稽留流産です」。

「…それは、残念なことでしたね」。

暖かい素晴らしい医師だと思った。余計ななぐさめも同情もなく、ただそう言ってくれた。この人は、死を知っている。

もう本当に、子どもを持つことはできないのかもしれない。また稽留流産をすれば、不育症なのかもしれない。私の体が持つ遺伝子は私の代で断たれ、この世に未来永劫残ることはない。それでいいんだろうか? 本当にいいんだろうか?
お腹にやってきたはずの命は、どこへ行ってしまったんだろう? 心臓が動いたら、そこに命は宿っているんだろうか? 人の命って、いったいいつから始まるんだろう? もし消えたお腹の子に命があったなら、その命はどうなったんだろう?

「おんまはみんな、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、おんまはみんな、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、どうしてなーのかー、だーれもしーらなーい」。歌う。歌ってばかりいた。
どうしてなのか。誰も知らない。どうしてなのか。誰も知らない。

うなされるように夢を見る。夢の中にいたのは男の子。
丸い大きな頭に真っ直ぐな黒い髪が印象的な、男の子の後ろ姿を夢の中で見る。
年齢は、5、6歳。
夢に出て来たキミは、お腹の中に一度やってきて、去ってしまった子なんだろうか?
それとも、これから出会うことになる子なんだろうか?

でも、もう子どもを産むことはないのかもしれない。
だけど、もしも子どもを授かるなら、できる限りのことをしてから迎えよう。
妊娠準備や出産や育児の本を、何冊も何冊も読み続ける。
行ける限りの講演会や講習会に行く。

それから、このブログを書き始めるまでの道のりが始まる。
丸い大きな頭に真っ直ぐな黒い髪の5、6歳の男の子は、いま、私の目の前にいる。


Date : 2007/10/30 21:16
Posted : jun
Category : よもやま
Tags : None




トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
※ 下記URLの大文字「MT」を半角小文字「mt」に変換してご利用ください。
http://ikuji-na-techo.com/cgi/mt/MT-tb15.cgi/1820

コメント

私も始めての子は稽留流産でしたので読んでいて涙がとまりませんでした。掻爬すると子宮に傷が付き次の妊娠がしにくくなる可能性がある、との説明で1ヶ月は自然流産を待つことに。告知から一月弱で自然流産しましたがその間の時間のことはいまだにはっきりと思い出せません。私も大病院でしたが何度も通う経過観察の間に水疱瘡に感染し病院にもくるなといわれ、陣痛が来て流産するまでの7時間を家ですごしました。夫はすぐに帰ってきてくれましたが、それまでの心細かったこと。死んだ子を産む?のになんでこんなに痛い思いをしなければいけないのか、泣きながら悶えていたことを思い出します。自分から出てきた赤黒い塊をボールに受け病院へ電話すると、検査したいから冷蔵庫で保管し、水疱瘡が治ったら来てほしいといわれ、また涙。他に言い方があるだろう、私のケースは検査しなくてもよかろう、といろんな思いがこみ上げました。その後診察を受けましたが、もちろん持ってはいきませんでした。というかつらくて保管なんてできませんでした。心音が消えたのが早かったので死産にはなりませんとの説明。4ヶ月もおなかにいたのに命と認められなかった子。そんな説明聞きたくない、もうここには来るまいと思いました。次の妊娠がわかったときは助産院へ行きました。再度初期流産をしたあと、「ここまできたら一安心。おめでとう。」と手を握ってくれた助産師さんの手が暖かくてうれしくて涙が出ました。何の設備もないところだけど、私の子は暖かい手に取り上げてほしい、と強く思いました。その後二人の男の子に恵まれました。命の奇跡を実感しながら生きている私は幸せだと思っています。長い文を読んでくださってありがとうございます。

Posted by : ゆん : 2007年11月01日 12:48

ゆんさん、コメントをありがとうございます。

ふたりのお子さんに恵まれて、良かったですね。素敵な助産師さんにも出会えてお幸せですね。

人間が人間を産み出そうとする場所が、最も人間らしくない扱いをされる場であるという現実があるんですよね。

たとえ不幸といわれる結果になったとしても、そこに納得のいく説明や、暖かみのあるケアがあれば、乗り越えていけるんです。ところが、産婦人科ではそういう考えが希薄のように思います。インフォームド・コンセントとかクオリティ・オブ・ライフとかの言葉が、産婦人科には、ないのかなと。

妊娠とか流産とか出産は自然現象で医療じゃないから、べつに説明とかケアとかは必要ないという考えなのでしょうか? 長年の疑問です。

今問題になっている産科医不足とか産科崩壊とかの危機的な状況が心を無くしているのかもしれないとは、ようやく最近になって思うことです。

お話をありがとうございました。他の方のお話をうかがうと、こちらも癒されるような気がします。

Posted by : jun : 2007年11月02日 00:11

junさんこんばんわ。今まで流産のことは恨みのような意識でいました。が、「今問題になっている産科医不足とか産科崩壊とかの危機的な状況が心を無くしているのかもしれない」というコメントにハッとしました。そうかもしれない・・・そう考えると仕方ないか、と思えます。母親業も一緒ですものね。自分に余裕がないと子供につらくあたってしまったりしますし。産婦人科だけでなく長期療養が必要な病気もずいぶんとつらい思いをするようです。(私の母ですが)。医療機関は弱っている時、助けが必要な時に行くところですから余裕ある体制であってほしいものですね。教育現場も同じですが。

Posted by : ゆん : 2007年11月02日 22:21

そうですね。どう考えたらいいものか、考えても結論はでないんですよね。

人の生が自然現象なら、人の死も自然現象。自然にまかせるという考えもあります。

死に近づく時に介護が必要になる。生まれゆくためにケアが必要になる。でも、それが医療の分野なのかというと、どうなんでしょう? きっと医療に携わる人にとっては医療ではないのでしょう。

育児は介護に似ていると思う事はよくあります。

Posted by : jun : 2007年11月04日 00:46

 いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。




保存しますか?