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2007年10月31日
タミフルは脳に侵入?
親子揃ってインフルエンザに一度もかかることなく今まで過ごしてきたわけなんですけど。
もし、かかったら。お医者さんに「タミフル出しますか?」と聞かれたら。
どうしよう?
服用した若者や子どもに異常行動や突然死が相次いだインフルエンザ治療薬「タミフル」が脳に達する仕組みを、国内の二つの研究グループが動物実験で明らかにした。
脳には薬など異物の侵入を防ぐ「血液脳関門」という防御機能があることなどから、厚生労働省の作業部会などは服用と異常行動の因果関係に否定的な見方を出していたが、それを覆す可能性のある研究結果として注目される。
荻原琢男・高崎健康福祉大教授らの研究。
P糖たんぱく質を持たないマウスの脳内のタミフル濃度が血中濃度の65〜85%に達し、通常のマウスの14〜17%より大幅に高かったとのこと。
85%って……。脳の中、ほとんどタミフル。
乳幼児は、この「血液脳関門」が未発達だと言われているわけで、「P糖たんぱく質を持たないマウス」というのと同じ状態。
やっぱり、「タミフル出しますか?」と言われたとしても、やめとこうかな。
<ブログ内関連リンク>
児な手帖: タミフル耐性ウイルスが出現
育児な手帖: 10代へのタミフル投与中止
育児な手帖: タミフルと死亡例の因果関係
育児な手帖: インフルエンザ治療薬のタミフルはどんな薬?
育児な手帖: インフルエンザ薬 「タミフル」で子供12人死亡
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Date : 2007/10/31 22:21
Posted : jun
Category : 育児な記事
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インフルエンザ
, タミフル
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2007年10月30日
ある流産(7
医師の予定を入れられる日に、処置を受ける。
かわいいインテリアや整った設備の部屋や、こぎれいな個室の並ぶ産院。大きくて立派な分娩台。見学した時に見た。
でも、横になった部屋は、薬品の入った段ボール箱が積み重なる、まるで倉庫。
この部屋で、私の初めての赤ちゃんは、葬られるんだ。
ここで出産する人は、きっと一度も見ることがない部屋。
足を、ここに乗っけなければいけないのか? 横たわった台にある器具に足を乗せようとする。
「あ、そのままでいいんですよ」と、横に付いた助産師。
「子宮にポリープがあって、その処置を受けた時は、まずここに足を乗せて固定させられたんです」。
「それは、おつらいことでしたね」。
初めて、この産院で、血の通ったような言葉を受ける。
麻酔を受け、頭の中が真っ白になる。たくさんの星がキラキラ輝いている。この麻酔は気持ちいい。
医師の笑い声で目が覚める。ゆっくりと個室に運ばれる。麻酔が切れると、ものすごく痛い。吐く。その日のうちに帰宅。
「2ヶ月後ぐらいに来てください。生理があって、その後に。妊娠出来るかどうか、見ますから」。助産師が言う。
出血はいつまでも続いた。痛みもいつまでも続いた。ポリープで掻爬を受けた時よりもはるかに痛く、はるかに出血も多かった。痛くて立ち歩けない。横になり続ける。
言われたように、しばらくして、また産院へ行く。
内診台に乗る。
「生理が終わったばかりじゃないか! これじゃわからない!」。
そうつぶやかれただけで、医師の診察が終わる。
いったい誰がわかっているというんだろう? 初めての妊娠で、初めての流産で、掻爬の処置を受けた後の診察を受けるのには、どの時期が適しているのか、なんて。
どうして、この産院が人気の産院なのか、よくわからなかった、どうして、この医師が有名な医師なのか、わからなかった。
もう、ここへは来たくなかった。
定期的な経過観察のために、持病を治してくれた大学病院の医師の所へ行く。
「妊娠の経過はどうですか?」と、その医師。
「流産でした。稽留流産です」。
「…それは、残念なことでしたね」。
暖かい素晴らしい医師だと思った。余計ななぐさめも同情もなく、ただそう言ってくれた。この人は、死を知っている。
もう本当に、子どもを持つことはできないのかもしれない。また稽留流産をすれば、不育症なのかもしれない。私の体が持つ遺伝子は私の代で断たれ、この世に未来永劫残ることはない。それでいいんだろうか? 本当にいいんだろうか?
お腹にやってきたはずの命は、どこへ行ってしまったんだろう? 心臓が動いたら、そこに命は宿っているんだろうか? 人の命って、いったいいつから始まるんだろう? もし消えたお腹の子に命があったなら、その命はどうなったんだろう?
「おんまはみんな、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、おんまはみんな、ぱっぱかはしる、ぱっぱかはしる、どうしてなーのかー、だーれもしーらなーい」。歌う。歌ってばかりいた。
どうしてなのか。誰も知らない。どうしてなのか。誰も知らない。
うなされるように夢を見る。夢の中にいたのは男の子。
丸い大きな頭に真っ直ぐな黒い髪が印象的な、男の子の後ろ姿を夢の中で見る。
年齢は、5、6歳。
夢に出て来たキミは、お腹の中に一度やってきて、去ってしまった子なんだろうか?
それとも、これから出会うことになる子なんだろうか?
でも、もう子どもを産むことはないのかもしれない。
だけど、もしも子どもを授かるなら、できる限りのことをしてから迎えよう。
妊娠準備や出産や育児の本を、何冊も何冊も読み続ける。
行ける限りの講演会や講習会に行く。
それから、このブログを書き始めるまでの道のりが始まる。
丸い大きな頭に真っ直ぐな黒い髪の5、6歳の男の子は、いま、私の目の前にいる。
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Date : 2007/10/30 21:16
Posted : jun
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2007年10月29日
ある流産(6
産院で宣告を受けた5日後、また産院へ行く。言われた期日は1週間。でも1週間待つ理由がわからなかった。待てなかった。
産院の入り口を入ると、カルテを手に、にこやかに、産院の助産師が言う。
「体重測ってください」。
「……測らなくちゃならないんですか?」
「ハイ、来たら、必ず測ってください!」
……何のための体重測定? 赤ちゃん死んでるのに。
体重を測る。
部屋に呼ばれると、また別の助産師さんが、にこやかに言う。
「このあいだの血液検査の結果が出ているんですよ! ほら、この数字が……」。にこにこと説明を始める。
……何のための血液検査? 赤ちゃん死んでるのに。
「つわりはどうですか?」。にこにこと聞いてくる。
「赤ちゃんが死んでから、ひいてきたような……」。
ぽかっと口を開けると、突然無表情になった助産師は、何も言わないまま、隣の部屋に引っ込んでしまう。
内診台に乗る。医師がエコーをしながらカーテンの向こうで怒鳴る。
「1週間経ってないじゃないか!」
診察を終える。
1週間経つことが、そんなに大事なのか。
いったい何をどう伝えたらいいのかわからない。
聞きたいことはいっぱいあるのに、誰も何も説明してくれない。つわりが苦しくて何も聞くことができない。
ようやく、正面に座ってこちらを初めて向いた医師と、助産師に、言う。
「赤ちゃんが死んでいるのに、お腹にいることの方がつらいんです」。
精いっぱいだった。
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Date : 2007/10/29 22:30
Posted : jun
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2007年10月28日
ある流産(5
その産院で最初に診察を受けてから、2週間後が次の検診だった。
つわりはますます苦しく、口を開くと吐く。しゃべることができない。
何も食べないまま、イオン飲料と、果物をわずかに食べて過ごす。動けない。動くと吐く。苦しさを紛らわすために、ひたすら妊娠や出産の本を読み続ける。
長い長い2週間が経ち、2度目の検診を受けに産院へ行く。
体重を測る。血液検査を受ける。腕に針が刺さる。
この産院では、待ち時間を減らすためなのか、体重測定や検査は最初に済ませる。診察前に医師には会わない。まず最初に診察室に入って、体調などを医師の顔を見て話すということはなかった。
医師の顔をまったく見ないまま、診察台に乗り、内診を受ける。エコー。
「赤ちゃん、死んでるね」。
カーテンの向こうの医師の声が聞こえた。
ひとこと言うと、医師は診察をやめ、隣の部屋の助産師に大声で伝える。
「流産の説明!」
内診台を降りた。
医師からの言葉は、他にはなかった。
隣の部屋へ行くと、カルテを指し示す助産師。「切迫流産」と書いてある。でも、切迫流産というのは、赤ちゃんが生きているのに流産の恐れがあるということで、赤ちゃんが死んでいるのにお腹にいるのは「稽留流産」と言うんじゃないのか? 読み続けた妊娠の本には、たしか、そう書いてあった。
でも、つわりの苦しさで、それをしゃべることができない。かろうじて、ひとことしゃべる。
「切迫流産と書いてありますけれど…?」。
「これは、保健をきかすために…」と助産師。
よくわからない答えだった。
「1週間経ったら、また来てください」。
なんのための1週間なんだろう。もう赤ちゃんは死んでいるのに、なぜ1週間待つ必要があるんだろう? なぜ苦しいつわりをまだ耐えなければならないんだろう? いったい何のために?
なぜ、あの医師は、突然、話もろくにできない内診台で「赤ちゃん、死んでるね」と言っただけなんだろう? 「成長しない可能性がある」とか「経過をみる必要がある」とか、まずはそういう言い方をするんじゃないだろうか? なぜ「死んでる」のひとことで済ましているんだろう。なぜ……?
なぜ死んでいるのに1週間……?
翌日、最初に診てもらった女医の所へ診察を受けにいく。
「赤ちゃんが死んでいると言われました」。
女医の顔が硬くなる。「エコーで見ましょう」。
「……これは………」。首を横に振る女医。
あなたは妊娠だと言った。母子手帳をもらってこいと言った。
妊娠だと言った。
「流産は、普通、心拍がある前におきるものなんです……」。遠くを見ながら女医が言う。
聞く。「稽留流産というのは、このままにしておいた方がいいんですか?」。
「いえ、なるべく早く処置した方が……」。
言葉少ない女医。
稽留流産なのに1週間を待つ必然性がわからなかった。
でも、待つ必要はないらしい。
稽留流産だと、どうなるのか、どうしたらいいのか、誰も詳しく説明してくれなかった。枕元に山積みになっている妊娠の本を読む。稽留流産は、やがて出血し、赤ちゃんが出てくるのだという。真っ赤な血と、これまでつわりに耐えてお腹で育て続けた赤ちゃんが、出てくるんだ。真っ赤でドロドロになった小さな赤ちゃんが。
もしそれを見たら、気が狂うと思った。
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Date : 2007/10/28 20:28
Posted : jun
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2007年10月27日
ある流産(4
子宮には大きなポリープがあった。子宮にポリープができることは滅多にないらしい。体の異状をいくら訴えても、だから、どの医師も検査をしてくれなかった。ようやくポリープが発見された時、ポリープはかなり大きくなっていた。このポリープがあると妊娠できないだろうと言われた。
でも、子どもを持たなければ、それはそれでもいい。妊娠するためにポリープを取るというよりも、体がつらいために取ってほしかった。でも、医師たちは、妊娠できるようにと、ポリープを取ることを勧めた。何回も診察を受ける。何回も内診台に乗る。
ポリープを取る。麻酔を受ける。全身麻酔。意識が遠のく中で、掻爬の感覚を感じる。痛い。たとえようもなく痛い。間もなく意識がなくなる。
入院は1日で終わる。麻酔が切れたあとも痛みは残る。
「すぐに妊娠すると流産する恐れがありますから、2、3ヶ月経ってから妊娠を考えてください」。
痛みはしばらくすると消えた。
ただ時が過ぎた。妊娠してもいい期間に入った。
ポリープを見つけた近所の婦人科クリニックの女医は、基礎体温を測るように言った。妊娠させようと思ったのだろう。排卵誘発剤を使うこともできるという。
どうしても子どもを望んでいるというわけではなく、子どもが欲しいノイローゼとかでもない。でも子どもがいらないというわけでもない。言われるがままに、基礎体温を測り続ける。
持病があった。まだ一般の病院では治すことができない。大学病院の治験を受けるしかなかった。でも、いつか妊娠するのなら、治しておきたかった。どこに行っても医師たちは、まともに診ようとしなかった。でも、治験をした医師は、しっかりと診てくれた。治療を受けた。検査は苦しかった。でも、治療の効果はみるみる現れた。
その持病の経過観察のための検査を受けた。麻酔をした。
それは後になって数えれば、妊娠のごくごく初期だった。
そんな中での妊娠だった。
妊娠週数、ずれていないはずだ……。
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Date : 2007/10/27 21:27
Posted : jun
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