ニュージーランド流子育て
子どもを授かった時に、持っていた、子育てのイメージって、実は、こうだった。
日本のように、子供がいない時間に親同士でどこかでランチ、なんてことは滅多にないが、そうやって子供を預けたり預かったりしているうちに、自然と信頼関係が出来てくる。親は親で、他人の子への目配りや叱り方を学ぶ。子供は子供で、家庭ごとに違うルールや生活様式があることを学び、人はひとりひとり違ったバックグラウンドを持つこと、それを尊重しあうことの大切さに気がついてゆく。
ハリーはこの間、我が家で生まれて初めて「刺身」を食べた。息子はハリーの家で夕飯を頂いた時、「ハリーの家は、カレーをパンで食べるんだよ!」と、面白そうに報告してくれた。そういうことを、ハリーの両親はとても喜んでくれる。
子供を預け合うことでお互いを少しずつ理解していくニュージーランド流のお付き合いは、正直なところ、はじめはちょっと気が重かった。思いっきり日本人的思考パターンの私は、ついつい「他人の子を預かる責任」を重く考えてしまいがちだ。だけど慣れてくると、自身の親としての成長も、他人の子供の成長もみえてくるようになる。自分の幅が、少しずつ広がってゆくような気がしてくる。そして、こういう風に他人を信頼出来る社会であることが、とても有り難く思える。
もっと、預け合ったりして、地域というか、子どもを主体にした考えで、育てていくんだと思っていた。いや、育てたいと思ってた。
けれど、すごく驚いたのは(驚いたことを挙げればキリがないほどたくさんあるけど)、預かるということに責任が発生したり、むしろ「子どもを押し付ける」という考えが当たり前、だったこと。
責任はたしかにそうかもしれない。けれど、親と離れられる年齢になれば、お友達と一緒なら、みんなで鍋を囲んだり、ゲームをしたり、そんな体験をできるだけさせてあげたいと、親も思うものだと思っていた。
どうして、こんなに、マイナス思考なんだろう。マイナスというのとはちょっと違うかもしれない。とにかく、子どもの面倒をみるのは、嫌な仕事。押し付けられる。押し付け合う。いかにそれを逃れるかばかりを考える。
お役所関係に、「子どもを遊ばせる所を知りたい、作りたい」と思って何度も行った。でも、話をしたあとに、必ず言われるのが「託児じゃありませんから」。
そんなこと、誰も聞いちゃいねーんだよ!
ああ、そうなんだと、いつしか知るようになり、いかに子どもを他者に押し付けようかとばかり考えている人がどれほど多いかを知るようになり。ああ、そうなんだ。子どもがいない間に、ランチ。そうなんだ。
子どもが子ども同士で一緒にいたいから預けるわけじゃなくて、子どもに社会を経験させてあげるために預けるわけじゃなくて、子どもに悲しい思いや寂しい思いをさせないために預けるんじゃなくて。預けるっていうのは、自分がラクしたいとかめんどくさいとかそういう都合なんだ。
どの子にも声をかけて一緒に遊んでいたけれど、「都合のいい子守り」としか思われないんだろうと、いつしかやめてしまったり。
預かると言ってくれるその人に責任を負わせてしまうのではないかと考えてしまったり。
でも、そうなんだ。しっかりと育った子どもなら、きっと、どこに行っても、しっかりとやっていけるんだ。子どもは自分でちゃんと考える。そのはずだと、思う。
まぁ、あんまり日本人的な考えじゃないんだろな私も。









